Sunday, February 14, 2010

開始のホイッスルは既に鳴った


考えてみてほしい。
人生でプラン通りに行った計画はいくつあるだろうか?
僕の場合には、普段から漠然としたイメージしか考えないので
これまでの人生の中で本当に計画通りに行ったことといえば、片手で数えられるほどしかない。
英語を習得したことは、数少ない中の一つだろう。しかし、その他大多数の自分の計画は途中で暗礁に乗り上げてしまった。
Planned Happenstance Theoryを訳すと、「計画された偶然性」となる。
曰く、人生の大部分は「偶然」によって左右されており、それらは
事前に操作することは出来す、「たまたま」なのだ、と。
勿論、努力によって成功の度合いを高めることは可能だ。
しかし、そうした場合には、高い志と明確なビジョンが必要になってくる。
一体どのくらいの割合で人は、「必然的」な人生を歩むのだろう?現代社会では、おそらくかなり少ないはずだ。
少年時代からスポーツが好きで、大人になってからもプロのスポーツ選手になった人などは、
この「偶然性」というものを、人並みはずれた高い志と明確なビジョン、そして血の滲むような努力によって、「必然」へと具現化してきたのだろう。そんな彼らとて、いつ交通事後やアクシデントなどの理由でいつ選手生命を断たれるか分からないのも事実である。
国王家や、代々伝わる由緒正しい家などに生まれた者を除けば、人生の「必然性」や「絶対性」はかなり低いはずだ。
世の大多数の人は、国王家に属している訳ではなく、生まれたときから人生まで決めつけられてしまうような家柄の人は、そう多くないと思う。また、人々の多くは、プロスポーツ選手ではないし、彼らほどに努力をしたり、常に高いモチベーションを保ったり、精神的・肉体的なプレッシャーなど、一般的な日常生活を犠牲にしてまで現在の仕事をしているわけではない。
一般的と呼ばれる人の多くは、多分に偶然が重なった結果の人生を送っているのではないだろうか。カイシャという組織に属するために、自分の人生=履歴書をポストに投函し、合否結果や配属先に一喜一憂る。ある程度の「偶然性」と「必然性」を秤にかけ、最終的には今いる場所が「居るべき場所」と定義し納得して生活している。(納得はしていなくても、認識はしている。)
そう考えると、世の中の殆どの人が、「いま、どこで、なにを、やっているか」ということは偶然か奇跡に近い確率で決まっている。
5W1Hで考えれば、我々に残された選択肢は、「Whyーなぜ」と「Howーどのように」位なのではないかと考えてしまう。
なぜ働くか。この答えは簡単だ。「お金を稼ぐ為に働く」。
では、
どのように働くか。これにはおそらく人の数だけ答えがあるはずだ。

働き方について考えると、すぐに「ワークライフバランス」と言う言葉が頭に浮かぶ。
人生や生活と、仕事とのバランス。
近年、過労によるうつや自殺など深刻な社会問題になりつつあるこのテーマは、
仕事をしている人なら誰しも一度は考える事柄の一つではないかと思う。
どの比率が最適とも一概には言えないし、実際に職場で深く議論されるべき問題ではないのかもしれない。
これからは、各々が自主的に、ベスト・バランスを見つけていくべきなのだろうと考える。
2010年現在、日本という国の経済と未来は非常に不安だと危惧されている。
百年に一度と言われる不況、そして、中国・インドなどを初めとする近隣国の
急速な経済発展。ゆとり教育や少子化などによる若年層の国際的競争力低下。
国内産業の停滞と成熟。この先、日本が今までのような市場優位性を確保できる保証はどこにもない。
日本の企業に勤め続ければ、限られたリソースで、途上国に負けられんと馬車馬のように働かなければならなくなるだろう。しかし、仕事があればまたマシなのかもしれない。
中国人やインド人とスペックが大して変わらなければ、いとも簡単に職を失う可能性があるからだ。
これは、国境と大陸を跨いだレッドオーシャンである。
レッドオーシャンからは、なるべく早く抜け出た方が良い。
既に、試合開始のホイッスルは鳴った。