Friday, May 6, 2011

復興

震災直後

震災から2ヶ月。この間に自分に起こったことについて後学の為に
少し整理しておきたい。

震災が起きてからしばらくは頭がぼーっとしていた。
地震の次の日に、研究の中間発表が予定されていて、その発表資料の為に
連日夜なべしてせっせと頑張っていたから、
正直、(地震により延期が発表されて)
「あーこれで、やっと寝れる!」なんて不謹慎にも思っていた。

幸運にも、自分の親しい友人や家族には被災者はいなかったが、
すぐに、自分が何か出来ることはないか、
インターネットを通じて探してみた。

実際に現地に行くことは難しい。
募金にも個人で、そして私のような若者が出来る額はたかがしれている。
物資に関しても、一体何を送れば喜んでもらえるのかすらわからない。

「ほんと俺って役立たずなのなー」なんて考えていたのだが、
「日本語で発信される情報を現地で(英語やスペイン語に)翻訳する」という
ボランティアが募集されていることを知り、実際にやってみた。

指定されたメールアドレスに連絡すると、翻訳グループのメーリングリストに
登録されたとのこと。
それから毎朝「この文を翻訳してくださる人いらっしっしゃいませんか〜」
との呼びかけがメールボックスに届いた。
仕事と学業の二足のわらじをはく自分も、
何か人の役にたてることがあると思うと、
寝る間も惜しんでせっせと翻訳をしたりした。

復興もすこし落ち着いてきたとのこともあり、
五月に入る前に、このボランティア翻訳グループの活動は停止となったが、
自分が頑張って翻訳した文章が、
少しでも多くのひとの役に立ったら嬉しいなと思う。

WSJの記事によれば、日本の震災復興費用は20兆円に昇るといわれている。
様々な場面(国内外問わず)で、
政府の、特に内閣府としての対応が悪かったとの声もきく。
国会での討論はねじれ、復旧と復興にむけ、
必要なアクションがとられなくなることが心配だ。
過ぎ去ったことを蒸し返していてはいけない。

復旧と復興

丁度10年前に起きた911と今回の震災で
感じたことは似ている。

アナロジー(相似性)は大きく3つ。

一つは、「人間の命なんて儚いものだ」という感覚。

明日東京に大地震が来たって何も可笑しくない。
だからといって、何も起こらない可能性だって十分にある。

明日で終わりかもしれない感覚と、
明日が何十年も続いていくかもしれない感覚。
人の命の不確実性に儚さを感じた。

もう一つは、自分の本当にやりたいことの再確認。
このような危機的感覚を、911以来改めて実感することによって、
自分にまだまだやりたいことがあるということを再認識できた。
そして自分にはまだやれるだけの体力と気力がある事も大きい。

最後に、家族や友人など
人と人とのつながりを痛感したということ。
普段の生活では意識せずにいることなのだろうが、
やはりこうした有事に、人との関わりで学ぶことは多いなあ、と感じた。

911のときはアメリカ留学中で、
変化のダイナミズムを肌で感じることが出来た。
しかし、まだ高校生だったこともあってか、
表層的な部分でしか世界を見ることが出来ていなかったように思う。

これから復旧と復興に向けて、しっかりと目を凝らして
自分の出来ることをしっかりとやっていきたいと思っている。