まえがき
昨日は高校の友人達と近場で飲み。週末の金曜日、神奈川のありふれた街のありふれた居酒屋で、肩を並べて色んな事を語り合う。集まったのは、非常にマイペースな人間たち。我々の繋がりを称するならば、クモの巣型、分散組織とでも言おうか。もしくは、違う目的地を違うルートで目指しているが、出発点(高校の同窓)
が似ているため共感する事が多い、旅人同士、といったところか。それぞれ皆全く違うことをやっていて年に数回合えば良いほうなのだけど、なぜか会うと波長が合う(気がする)。なぜなんだ?それは、多分、みんなが自分のペースに合わせてもらっているんだな、と解釈しておく(注:マイペース度合いで言えば自分が恐らくもっとも深刻なため。本人は自覚しているが改善する気はあまりないのか、改善の余地がないほど末期症状なのか、どちらか)。
気の置けない友人達とのリラックスした会話から、学んだ事、思った事を徒然なるままに記したい。人生は続いて行く。犬は吠えるがキャラバンは進む。10代の青臭さと30代の大人さと、中間における20代の最中に感じている事として記録する意味で、ここに書いてあることは個人的に重要である。もしかしたら、他の人にとっても何か意味あるものになるかもしれない(というかそうしたい)ためここに記載する。
そして、最後に、最近読んで感動した、 グリー株式会社 社長の田中良和さんの「僕も彼らの言葉に学んだ」という文を記載(勝手に)したいと思う。とりとめの無い事を、とりとめないままに。うん、これは、かなり長いブログになりそうだ。
ヒーローでなくていい。
最近、「竜馬がいく」をテレビで見ていて感じた事の一つに、竜馬とチェ・ゲバラの類似性がある。やはり「自分より大きな者を背負う」というのはHeroicであり多くの人を惹き付ける。しかし、ゲバラも著書の中で述べているように、どのような革命も完全たることはあり得ないし、間違いや欠陥は当然ある。そしてその中の幾つかに対して高い代償を払うことになるだろう、とゲバラはキューバ革命後に言っている。僕は政治的な事にあまり興味は無いし、革命にもゲリラにも興味は無いのだが、ゲバラのことは個人として尊敬している。21世紀で生きるビジネスマンとして、彼から学ぶべき事といえば、それはずばり「公共心」なのだろう。チームの、公共の、国の、人の、誰かの何かの為に働く。私利私欲を超えた所にある、仕事。
約60年前に、革命を信じて小さなボートでキューバを目指した、ゲバラを含むおよそ40名の兵士達が見ていたことや成し遂げたことは、60年後に地球の反対側の人間を勇気づける。なぜだか分からないが、胸にこみあげてくるものがある。繰り返すが、政治にも革命にも闘争にも興味の無い自分にとって、「仕事」という公共的なものをどのように動機付けするかという意味において非常に参考になる。ジョゼ・モウリーニョというサッカー監督が二つを上手く纏めてくれているような気がするので以下、引用させていただく。
「私は量より質を重視する。私は革命家ではなく、何かを革命したいとも思わない。私はとても明確な考えを持っている一人の人間にすぎない。私の人生哲学はサッカー哲学に似ている。それは正直、率直、明確、そして野心的であるべきということ。私はこれらの特徴を絶対に失いたくない。」by ジョゼ・モウリーニョ
大きな野心や夢を抱くのに革命家である必要など全くないと思う。第一に、それほど現状に不満を持って生きている訳ではないのだ。物質的に満たされ、経済が成熟した中で育ってきたため、何かを「ひっくり返したい」と思うような事などほとんど無い。何かをひっくり返すような偉業を成し遂げて、ヒーローに成る事を望むよりも、コツコツと地道に自分の人生を築き上げて行きたい。そんな風に思っている。こういった思考を世間では「ゆるキャリ」思考と言うらしいのだが、正にその通りなのかもしれない。建物を建てる為には建築家がいるし、計画都市と呼ばれるような都市にはデザイナーが存在する。では人生の設計・デザインは?と聞けば、キャリアコンサルタントなどがいる。だが、キャリアコンサルタントは、「スキルセットと仕事のマッチング」に特化したアドバイスを行うのであって、どのように心持ちで仕事を行えばよいのかまでは教えてはくれない。「大きな心持ちを持って、階段を一段一段登るように」仕事をしたいと思っている。勤勉の象徴とも言うべき、二宮金次郎の銅像のように。
人生は続いていく。
辛抱強く、あくせくせっせと仕事を行うことだけがもとめられるのであれば、我々は人間ではなく、ロボットで良い。ただし、人間は「心」という「感じる触媒」を持った生命体である。人間にしか出来ない事は何なのか。人間の中でも、自分にしか出来ない事とは何なのか。そんなことを学ぶヒントが、以下に記載するGREE代表の田中良和さんの文に隠されている気がする。「心」で感じていることを信じて、一歩一歩具現化していくこと。それはシンプルだけど、人生に於いて本当に大事な事なんだと思う。言葉には不思議な力がある。人の心を揺り動かす。そこには、コンピュータの中で交信される二進法のそれよりも何か突き抜けたものがある。先人の残してくれた言葉を噛み締めながら、残りの人生を生きたい、そんな風に思った。「20歳過ぎたら余生」という言葉を最近耳にした。的を得ているな、と思った。もし、20代が既に、余生ならば、自分の私利私欲ではなく、人の為に働きたい、そんな風に感じる今日この頃だった。以下、転記。
僕も彼らの言葉に学んだ
グリー株式会社 代表取締役社長 田中良和
僕が生まれたのは1977年です。社会のことや世の中の事が理解でき始めた中学生や高校生の時代を、日本の一つの成長の時代が終わり、横ばいと下り坂を繰り返す1990年代に過ごしました。そういう意味では、成長する時代を体験していない、日々縮小する日本しか知らない世代の始まりなのかもしれません。
そういう1990年代に入り、時代が世の中の雰囲気を変えて行く中で、当時の僕には、それに大きな違和感を感じました。努力をしても意味が無い、いかに楽に過ごすかが全て。どうせ何も変わらないから、頑張るだけ馬鹿らしい。悲観的なシニカルである事が賢いことで、建設的で前向きであることが愚かであるような、社会や他人の批判と批評を繰り返して問題点はあげていくものの、自分では責任を持って解決に向けた行動をする訳でもない、そんな雰囲気に包まれていたように思えたからです。
そんな考え方に疑問を感じながらも、だからどうすべきだという答えを持たない中、僕はシリコンバレーやインターネットと出会い、人生を変えるほどの強い衝撃を受けました。まず、驚いたのは、そこで生きる人の生き方であり、それを支えるシリコンバレーに流れる哲学や価値観です。それは、日々の違和感を感じていた僕に、進むべき道を指し示してくれました。
当時、アメリカでもインターネットは一般的には全く普及していませんでしたし、今のようにネットワーク社会になりウェブやメールが普及するというのは、車が空を飛ぶ時代が来るらしいというぐらい、ある種の夢みたいな話でした。ただ、シリコンバレーではそんな可能性に賭けて、NetscapeやYahoo!が事業化され、そのニュースが僕の目に留まりました。
そこには、会社のほとんどが若者ばかりの、当時の僕から見ても、若い未成熟な、経験も実績も無い危なげない若者たちの姿がありました。そんな彼らの姿は、一般的に言えば、それは単なる辛く苦しい不遇な環境に見えるのかもしれません。狭いオフィスの中で深夜まで働き、冷えたピザとコーラのような侘しい食事を毎日食べながら、よれよれの服を着ながら机の上で寝ているような姿でした。ただ、彼らの目には、そんな環境と対照的であるかのように、自分が今までの人生で全く見た事の無い輝きに、あふれていました。
その若者たちは、これから誰もがインターネットを使う社会を作って、印刷や電話が発明されたときのように、情報発信やコミュニケーションのあり方を変えるんだと、人類の歴史の転換点の一つを生み出して、社会や世の中を変えようとすることなんだと、そのために働いているんだ、こういう製品が世の中に必要なんだ、と情熱的に語っていました。
それは、僕の今まで知っていた、働くということは楽しくないことで、しょうがなくやらなければいけないもので、ビジネスとは卑しいお金儲けで、企業は悪いものだと、いうことと全く違う、衝撃的な価値観やものの考え方でした。
そういう働くことで新しいビジネスを生み出すことで、未来の社会を自ら創造する、そのために努力や挑戦をいとわない、というシリコンバレー的な価値観や哲学に、僕はまさに魅了されました。僕も彼らのような生き方がしたい、という強い気持ちを持ちました。それから、大学生を過ごし、社会人になり、会社を作り、十数年その気持ちとともに毎日を過ごし、今でもそれは変わらず、それは僕にとっては生きる意味そのものとなりました。
シリコンバレーから学んだことは生き方だけではありません。もう一つは、シリコンバレーから生まれるさまざまな技術やサービスが、僕に世の中をより良く変える方法を教えてくれました。
NetscapeやYahoo!に続いて、将来はネットを通じた物販が普及するとして、AmazonやeBayが事業化されました。今ではインターネットを通じた物販は当たり前になりましたが、当時は、インターネット自体が全く普及していない訳ですから、将来は電気自動車が主流になるのでいまから電気スタンドを事業化するというぐらい、突拍子も無い話に思えました。物はお店で買う物で、行ったことも無いお店は信用できないから買うはずが無い、というようなある種の納得できるような話が信じられていて、誰に聞いても否定的な時代でしたが、彼らはそんな意見には目もくれず、新しい世の中を生み出そうとしていました。
ネットでのショッピングが誰でもできれば、子育てで家を出れない主婦でも病気で買い物に行けない人でも欲しい物を買う事ができる、ネットでのオークションが誰でも出来れば、世の中で使われずに捨てられていた物が、他の誰かに役立つ物になる。今では当たり前のことかもしれませんが、その一つ一つは、誰かがそれに無謀にも挑戦し、新しい技術やサービスとして生み出し、世の中を変えてきた歴史なのです。
シリコンバレーのそういう新しい技術を生み出したり、革新的な製品を普及させていくことで、人間一人一人の可能性を広げて、社会を効率的にしたり、人々の毎日を豊かに楽しく変えていくことが出来るんだ、それは絶対的にすばらしいことで、自分たちの努力でそれを実現するんだ、という哲学や価値観にも僕は強く魅了されました。
インターネットの歴史では、たびたび、こういう物が世の中にあるべきだ、あったらいいなという小さな気持ちやきっかけが、新しい何かを生み出してきています。Yahoo!やGoogle!も個人の趣味だったり小さな研究の中から、始りました。
私のGREE も、2003年のある日に、小さなアイデアから生まれ、新しいコミュニケーションやコミュニティで、世の中をちょっとでもより良くしたいという気持ちで、個人の趣味として、ボランティアで始りました。
始めてから、僕は、自分の収入の大半を使い、時にお金を借り、休みの日や空いている時間を全て使って、それに没頭していきました。多くの友達や知り合いに、なんでそんな無意味なそんをすることをするのかと、何の利益があるのかと、幾度となく聞かれたものです。
ただ僕は、世の中を少しでもより良くしたかった。インターネットを通じて世の中を変えることが出来るんだという、自分の教えてもらったことを、ただでやっていた、それだけでした。
シリコンバレーはAmazonやeBayに続いて、Googleが検索を変え、iPodやiTunesが音楽を変え、iPhoneが携帯電話を変えました。Youtubeやfacebookなど、世の中を今でも変え続けています。
シリコンバレーから学んだ最後の一つは、チームで新しい何かに挑戦する、諦めずに挑戦し続けるということです。
個人で運営していたGREEも利用者が10万人を越え、資金的にも時間的にも個人で出来る範囲を超えていきました。どうしていいかわからず、夜も作業で寝れず、逃げ出して辞めてしまいたいと思ったことは何度もありました。そんな中でもただただ、これだけ多くの人が使っているのだから無くす訳にはいかない、続けなければならないという気持ちで、会社を作り、続けていくことを選択しました。
シリコンバレーで生まれる新しい技術や製品は、誰かが一人で生み出している訳ではありません。会社としてチームを作り、多くの人で長い時間をかけ生み出される物です。それと同じように、自分もチームを作り、新しい何かを生み出すことを選択しなければと思ったのです。
会社を作るとその日から、個人と違いなんでもうまくいくとか、どんどん素晴らしい製品が生まれるとかそういうことはまったくありません。むしろ、どれだけ自分たちが苦労したと思っても、他の努力する競合企業の製品より価値がなければ、誰も必要としてはくれません。会社になってからも、始めから、今ほど多くの人が利用してくれるものを生み出せなかったし、それを自覚する毎日でした。ただ、それでも投げ出したり、諦めなかったのは、この本に登場するシリコンバレーの先人たちがまさに言っているように、それがシリコンバレーの歴史でもあったからです。
絶対にうまくいくと約束された訳でもないことに挑戦し、無謀なことをプラン無く始め、何の取り柄も無いようなチームが、成功するかどうかわからない不安な毎日を耐えて、成功する道がどこかにあるんだと信じて努力を止めない。Googleも明確な収益プランの無いままに会社として始りましたし、Appleも一時期はMicrosoftに後塵を拝し、終わった会社としていつ無くなるのかと思われていました。GREEも何の未来も価値も無く、多くの人にいつ無くなるのだろうと、思われていた時代もありました。
今、何かを成し遂げている企業も、その始まりから今まで輝き続けてきた訳ではない、ということがあったからこそ、僕たちも、挫けそうな絶望しそうな状況や先の見えない中で過ごす日々でも、未来や希望を完全に失うことはありませんでした。
新しいことに挑戦すれば、何もしない人の、何倍も多くの失敗を重ねます。未知のことは、どう解決していいか調べてもわからず、途方にくれたりします。他の人と違うことをやれば孤独になりますし、他の人には馬鹿だ無駄だと、絶対に成功しないと毎日のように言われるのです。失敗の度に徒労感を感じて空しくなり、時には誰かのせいにしたくなることも、仲間を恨んでしまうこともあるでしょう。
ただ、それでも続ける誰かだけが、新しい何かを生み出してきたのです。そういう人々が世の中を変え、今の社会や生活を生み出してきたのです。
「人生でチャンスの窓が開いている期間は少ない。成功する人とそうでない人の違いはその窓が開いている間にチャンスをつかめるかどうかなんだよ。」
私がまだGREEを作る前に、若手の勉強会で、この本の著者の梅田望夫さんがかけてくれた言葉です。私も今、目の前にあるチャンスに全力を尽くして、さらに大きな結果にしていきたいと思います。
この本*1 に書いてあるシリコンバレー的な哲学や価値観、そしてその歴史を、時に教えにし、時に支えにして......。
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*1 ; 同文は梅田望夫さんの「ウェブ進化論」のあとがきとして寄せられました。