Wednesday, March 3, 2010

存在の不確かな主張

これは、村上龍の新作のタイトルではない。これから、友人とはじめようとしていることについて、抽象的になってしまうかもしれないが、漠然と感じていることを書き留めておきたい。

まず「存在の不確かな主張」とここで呼んでいるものについて。それは、何かはっきりとした主張ではないもの、のことを言っている。主張したいほど、何か強い気持ちがあるわけではなく、確固とした根拠や裏づけ、データがあるわけではない、そんなグレーな、でも、やっぱり、一概に「グレー」と呼びたくない、そんなもどかしい感情を持つ対象。

例えば、食事の趣味。宗教の理由で、豚が食べられないとか、肉自体を食べることが出来ないとか、そういったことは「主張」すべきだ。だけど、豚は国産でないとあまりおいしく感じない、という人がいたとすれば、それはそれなりにセンシティブな発言だし、(同席している人が豚肉を海外から輸入しているかもしれない)積極的な主張は控えるべきだ。だけど、その人の中で、「豚は国産」という主張は残る。

そんな個人のささやかな趣向や主張を纏めてここでは、「存在の不確かな主張」と呼ぶ。

自分に置き換えてみると、音楽に対するちょっとしたこだわり、がそれにあたるのかもしれない。なんとなく、巷で流行っている音楽は好きになれない。別に好きにならなくていーじゃん、と思うかもしれないが、やっぱり、音楽があると、人生が少し豊かになる気がする。だったら、何か、自分の好きな音楽を聞くべきだし、そうして聞いていくと、自分には、人とちょっと違った「こだわり」があることが見えてくる。ジャンル然り、テーマ(ラブソング等々)然り、アーティストしかり、時代然り。いろいろあるけれど、誰にでもそんな「小さな主張」はあるのではないだろうか。

考えた結果、以下の4点が自分の小さなこだわりであることがわかった。

1. 「グローバルであること」(ある程度、万人のストライクゾーンに入るもの)
2. 「洒落がきいていること」(学校の勉強じゃないんだから)
3.「ポジティブな内容であること」(恨みや悪口の歌は好きではない)
4.「歌っている人の顔が見えること」(アノニマスな歌には感情移入しにくい)

そして、、、
これから、この4つのフィルターを使って、ちょっとしたアクションを起こしたいと考えている。