Wednesday, July 21, 2010

Build to Last




ビジョナリーカンパニーという本を読んでいる。
人類の最大の発明の一つとも言われる「会社」もしくは、「企業」という組織。
この本は、その「企業」といわれる中でも、「超一流」と呼ばれる企業が、何故超一流たるのかを解明しようとの目的で書かれた。「一流」ではない。一流の中の一流、金メダリスト達の本である。
そして、この本で書かれていることもまた金メダル級である。
意外性と、それを補うデータ。王道を行きながらも、地道で泥臭い情報収集。読み始めてから止まらなくなってしまった。

元々は、研究のインスピレーションを得られないかと思ったのだった。
膨大なデータ、仮説に基づく検証、数多くの「ありがちな事実」に惑わされることなく、あくまで「本質」に迫った粘り強い研究の書である。そういった意味で、(このレベルの書は書けないにせよ)大変参考になる本である。ベンチマーキングとは、恐れ多くて呼べないが、目標にする事は出来る。研究に行き詰まったら、この本を読もう。


Yet high over the city our line of yellow windows must have contributed their share of human secrecy to the casual watcher in the darkening streets, and I was him too, looking up and wondering. I was within and without, simultaneously enchanted and repelled by the inexhaustive variety of life.

-F. Scott Fitzgerald 

まだまだ、読みはじめなのだが、なんだかすっかり気に入ってしまった。

「F.スコット・フィッツジェラルドによれば、『一流の知性といえるかどうかは、二つの相反する考え方を同時に受け入れながら、それぞれの機能を発揮させる能力があるかどうかで判断される』。これこそまさしく、ビジョナリー・カンパニーが持っている能力である。」
フィッツジェラルドが出てくるあたり、これはもう好きとしか言いようが無い。

是非みなさんにおすすめしたい。
"So we beat on, boats against the current, borne back ceaselessly into the past".

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追記:2010 Aug/29

もし、エンロンが「ビジョナリーカンパニー」だったとしたら、
社内で「絶対」とされた善はどうなのだろうか。

アーサーアンダーセンにもしかり、である。

要は、「ビジョナリーカンパニー」では、「善」の定義はそれほど
重要ではない。
それよりも、
「定義への服従」が優先課題なのだ、と、この本は言っている。

日本ではまた事情が異なる(日本の場合は、大和魂とか武士道とか、精神論的な議論を絡めてくることが多い)。そして、時代も少し先に進んでいる。

これは、「何が善・是で、何が否」というレベルではなく、
価値観のフィットの気がする。

ただし、気をつけなければならないのは、常に、「価値観のフィット」は
「なんとなく」やっていると、コントロールが出来なくなることだ。