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Sunday, December 11, 2011

働きながら、社会を変える。

金融機関に勤める著者は、週末や平日の夜などを利用して
貧困をなくすために立ち上がる。
業務で活かした金融やビジネスの専門スキルを活かし、カンボジアの貧しい村へ
小口融資を行ったり、児童介護施設を改善するために活動する。

彼を突き動かしたのは、"2.4%"という数字と、
ネットなどによるコミュニケーションの(以前と比べて)圧倒的な利便さ、
そして、誰よりも熱いパッションだった。

"2.4%"という数字
経済学者によると、

「極度の貧困を持続可能な形で終わらせるために必要な年間支出は、
先進国の人々の所得2.4%」

だという。これが小さいようで大きな数字だ。
例えば年収一千万円の人が、年間24万円も寄付をするだろうか?
年収500万円の人は12万円寄付する?
この記事(http://jp.blogs.com/2010/03/tax.html)によると
一般的なサラリーマンは、年収に対して約12%の税を納めている
わけだけど、(個人の善意にもよるが)2.4%って、
小さいようで大きい額だ。また、国家の単位になると、
個人で賄うには到底及ばない。
孫さんが100億寄付したとかで話題になったが、
日本の全員の所得の2.4%は流石に1人で負担することは出来ないだろう。
だが、多くの人に賛同してもらえれば、何とかなるかもしれない。
そんな希望を抱くのには十分な数字だといえる。

ネットの利便性
Eメールも、電話も、24時間タダで使えるし、電話会議をする為の
ウェブアプリケーションなどもあるから、実際に一箇所に集まらなくても
打合せ、個人作業は出来るようになった昨今。
こうした利点をフルに活用し、若くて優秀な著者やその仲間たちのような
ビジネスパーソンは、本業の傍ら活動していた。
生産的に、且つ、本業の専門知識を活かして、効率よく
プロのクオリティのものを。
メンバーも、金融、IT, コンサルタント、など様々。
まるで、一つの会社のよう。
こうして「バーチャル・カンパニー」ともいえるNPOが生まれたのだった。

誰よりも熱いパッション
「もし誰も手伝ってくれなくても自分ひとりでやる」
本書の最後に書かれていたが、激務で知られる外資系金融機関に勤める傍ら
こうした社会貢献をするのには、誰よりも熱いパッションがあるからだ。
在日韓国人である著者。高校卒業するとき、家庭の事情で
大学へ進学できない友人の姿を見て、自分が人一倍頑張ろう
と決意したと書いてあった。思わず、胸が熱くなってしまった。
ニートをしていた時期もあったという。

自分を照らし合わせてみた。同じ思いは、ある。
でも、僕に何ができるだろう?
最後に、貧困という問題が、日本という先進国でも身近にあるということ、
そして、更に深い問題があるのだと考えさせられた言葉を引用する。


「だれからも必要とされず、だれからも愛されていないという心の貧しさ。
物質的な貧しさに比べ、心の貧しさは深刻です。
心の貧しさこそ、一切れのパンの飢えよりも、もっともっと貧しいことだと思います。」
マザー・テレサ




Saturday, August 27, 2011

Beauty and Boost

Japan's economical growth and the sense of "aesthetics" are not usually discussed
at the same table, nor its relation merely been pointed out. Yet, in a country where
more than 70% of people consider themselves as "non-religious", the only ethical 
guideline that I could possible refer to, is their aesthetic principles of which I assume 
they have characterized the major attributes of Japanese people. 

It has been almost 6 month since the terrible earthquake in northern part of Japan shook us.
What most stroked the people was
that a great degree of morality being performed under extreme harsh condition ; 
people lining up for hours to get their supplies, 
no fighting or robbery, 
energy conservation, 
volunteers and some of heroic works by government officials and industry professionals.
Yes, there might have been mistakes and errors. 
But, who could have done it better and that means what? 
The important thing is "not to forget". 
And that has been successful so far.  

We could argue that we have lost enormous amount of money.
But we have rediscovered some of fundamental attributes which we Japanese can 
definitely be proud of; what we can call "aesthetics" of a country. 
That is what drives us the most, today.

Can we see the aesthetics inhabited almost every part of society, well, except  
for the political system...

We'll see another Prime Minister to take the position in few weeks. 
Personally, I feel like an abandoned child being introduced to another foster father...
Got to live tight these days...

Tuesday, August 23, 2011

The Meaning

When something is not right, you just know it.
You may be naive or sensitive to call it, yet, 
if it ain't right, you gotta find a way to fix it.

If it's broken physically, perhaps it is easier to, sometimes.
The thing is, you may also break something more fragile, 
something intangible, or something not visible; heart.

When you break a heart, it takes a long time to fix it.
But if you believe in it, you definitely can fix it, and get stronger at it.
Because now it can bear the same pressure. 
It can win. 
It can survive.
It can learn.
It can find a better meaning of life.Yay.

Wednesday, November 3, 2010

自分の軸



















「自分の軸がしっかりしているよね」
自慢じゃないけど、
いろんな人にこういう風にいわれたことがある。
でもその言葉の裏に、「自己チュー」、
「生意気」、「マイペース」、「扱いづらい」
などなど。


色んな否定的な意味があることもわかっている。

ただ、これだけは決めている。

「他人が決めた定義に沿って人生を生きることなんて、
何の意味があるんだろう?
一度しかない人生なのだから、
それだったら、自分は肉体労働者でも構わない。
自分の一人の人間としての尊厳が損なわれないような生き方をしよう」

そう誓っていたのだった、昔から。
その思いは変えないようにしたい。

思い返すのは、
中学一年生の道徳の時間で、
友達に言いにくいことを言うとき。
友達が他の友達をいじめているとき、
あなたならはどうしますか、正直に彼/彼女に伝えることが出来ますか、
という議論したこと。

自分がそのとき答えたのはこうだった。
「自分の中に『正義』があれば、そんなことは問題にはならない。
だから、もしこの問題に迷いを感じるなら、
自分の中に『正義』を作る。それでいいんじゃないですか。」

自分の中に、絶対的な『善』があれば、
それは、周りの人にとっても(多少なり)『善』であるはずだし、
それは間違いではないはずだ。
だって、「良いこと」って一義的でしょ?
人類皆兄弟、最大公約数の幸福が、最善の解であり、
それはパズルのピースを埋めるように、
方程式を解くように、その解を求めることが
人生の幸福なのだ、そんな風に考えていた。

しかし、人生はそう上手くはいかない。
まず人生は方程式ではないし、
一人の人間は、世界というパズルの単なる1ピースでもない。
『善』の定義は、一人一人異なり、
『正義』もまたしかり。

本当に厄介なものだ。

これでは、何も出来ないではないか。

高校時代、そんな風に思ったことを思い出した。
そんな時期、有難いことに、運良くアメリカに留学することが出来た。
もしその経験がなかったら、今の自分は、
どこかの道ばたでくたばっていたのだろうと思う。

高校時代の留学経験を活かし、
なんとか大学に入って、4年間、
必死で勉強した。英語でプレゼンをすることも、
英語でペーパーを書くことも、
友達と吉野家で英語で会話することも全く初めてだらけの毎日だった。
早く周りの他の人のレベルに追いつきたい、という思いから、
なるべく英語を話す/使う環境に身を置くようにした。

学校での友達は英語ネイティブの人、
アルバイト先は英語を話せるところ、PCの言語設定(設定は英語)、
春休み/夏休みの海外バックパッキング。。。
出来ることは何でもやった。
英語は語源がラテン語ということで、スペイン語も勉強し、また違う側面から英語を活かせるようにした。大学3年、4年の休み中には南米に合計4ヶ月滞在した。
英語力は飛躍的に向上した。
そして、スペイン語も、まだまだ日常会話レベルではあるが、話せるようになり、
まだビジネスとして正式に使う機会には恵まれていないが、
いろいろと役に立っている。
「南米出身」だと、スペイン語でほぼ100%通じる(ブラジルはポル語だけど、
スペイン語で話すとわかってくれる)から心強い。いつかしっかりと勉強したい、
スペイン語。とか、いいつつ、今週から中国語のレッスンを始めることに。
中国。南米には言ったことはあるくせに、行ったことのないお隣の中国。。。

さて、なぜ地球の裏側の南米だったのか。
それはアルバイト先が、南米料理屋だったこと。
スペイン語は、南米大陸全般で話されており、英語、中国語に並んで、
多くの人々に話されている言語であること。
サッカーが好きで、南米ではサッカーが非常に盛んであること。
そして、チェ・ゲバラの影響が大きい。
「ゲバラの『魂』を知ってしまったら、もう後戻りは出来ないよね」

大学時代、よく行動をともにしていた先輩はそう言った。
僕の前にはどんな道があるのだろう。
後戻りできないのは良いとして、
これからどんな道が開けるのだろう。

自分の軸について、文化の日にちなんで考えてみたりした。